導入/Introduction

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『快鳥童子シーガルマン』は、青森県八戸市発の非公認ローカルヒーロープロジェクト。
同時に、特撮・漫画・昭和SFの系譜を受け継ぎながら、
社会の深層に切り込むオルタナティブなヒーロー像を提示します。
これは、希望と絶望のはざまで“闘い方”そのものを問う物語です。

『快鳥童子シーガルマン』は、青森県八戸市発の
非公認ローカルヒーロープロジェクト。
同時に、特撮・漫画・昭和SFの
系譜を受け継ぎながら、社会の深層に切り込む
オルタナティブなヒーロー像を提示します。
これは、希望と絶望のはざまで
“闘い方”そのものを問う物語です。

展開中のコンテンツ

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小説

実在の街を舞台に、怪異・超科学・陰謀が
交錯する近未来SF群像劇。
社会の歪みや倫理の境界に迫る物語を、
冒険や怪奇モノの高揚感で包みました。
一人ひとりの葛藤と選択を描きながら、
現代の「正義」とは何かを問う
長編シリーズです。

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映像

少人数体制で制作された、
リアリティ重視の映像作品。
ドローンや独自の演出手法により、
独特の世界観を映像化しています。
従来の特撮ヒーロー枠に収まらない、
新しい表現を追求しています。

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キャラクターショー

地域イベントなどで公演されてきた、
社会派エンターテインメント。
ユーモアと寓意を交え、
幅広い世代にメッセージを届ける構成です。
※現在、新規の公演受付は停止しております。

-3つのポイント-

1.正義の味方の原義

OPEN

「正義の味方」とは、
誰か一人の味方になる者ではなく、
“正義”という理念に寄り添い、
その精神に誠実であろうとする者の
ことを指します。

その在り方は、
国家や組織、法律、あるいは世論や
空気といった「体制」や「常識」に
ただ従うこととは異なります。
時に、そうした力に抗いながらも、
苦しむ者や理不尽な暴力に晒された
命の側に、
静かに、しかし揺るがぬ意志で
立ち続ける──
それが「正義の味方」の
本質と考えます。

そして──
たとえその“正義”の見極めに
誤りがあったとしても、
結果として誰かを傷つけて
しまったとしても、
その責任を誰かに
押しつけるのではなく、
自らの判断として
受け止めようとする
姿勢があってこそ、
真に「正義の味方」と
呼べるのかもしれません。

なぜなら、「誰かを助ける」という
行為そのものが、
常に「自らの選択に責任を持つ」
という覚悟と向き合うことでも
あるからです。
他人に任せたり、
責任から逃げたりすることは
できません。

それは、“正義という理念”への
誠実な忠誠であり、
必要とあらば世間からの
非難や孤立をも受け入れ、
矛盾や痛みすら抱きとめようとする、静かで強い意志の表れでもあります。

2.風土が創る物語

OPEN

この物語の舞台は、
北の海に面した青森県八戸市。
ただの地方都市ではありません。

かつて名門・南部家の領国の一角を
担い、軍馬の産地としても知られた
この地は、港町から工業都市へと
発展してきました。

しかし、天候は荒れやすく、
土地は痩せ、たび重なる飢饉や
御家騒動にさらされてきた歴史。
理不尽と背中合わせに生きてきた
人々の風土こそが、
この町の「顔」をつくっています。

だからこそ、ここに暮らす人々は、
あきらめ方と立ち上がり方の
両方を知っている。

控えめで口下手ながらも、
見過ごせない理不尽には
静かに抗う──
そんな反骨と優しさが、
確かに息づいているのです。

この作品のヒーローたちもまた、
そうした風土に育てられています。
「正義の味方」であるとは、
ただ強さを誇ることではなく、
不条理に向き合い、誰かの苦しみに
寄り添いながら、それでも未来を
信じること。

それは、この町が時間をかけて
育んできた「精神の遺伝子」と
呼べるものかもしれません。

“中心”から見れば小さな町。
けれどここには、
中心を問い直すだけの力がある。
この町だからこそ描けるヒーロー像を、今、世界に届けたい──
そんな思いのもと、
この物語は創られていきます。

3.人の抱える矛盾と責任

OPEN

シーガルマンは、
単に「悪を倒すための存在」
ではありません。
むしろ、彼が「倒さざるを得なかった相手」たちの存在や、その背後にある因果こそが、
物語の奥行きをかたちづくっています。

敵とされる者たちにも、
それぞれの価値観や信念、
抗いきれなかった苦悩があり、
多くの場合、主人公たちと
ほんのわずかな違いしかない、
紙一重の立場で描かれています。

彼らと自分の違いは何か、
本当に相手が間違っているのか─
─その問いに向き合わざるを得ない
構造が、この物語には常に
横たわっています。

「正義の名のもとに誰かを裁くことは、
本当に正義なのか」

「正しいと信じる行いが、
他者にとっての不幸になっていないか」

そうした矛盾にさらされながらも、
暴力を行使する自分自身の在り方と
誠実に向き合い、その選択に
責任を持とうとする姿勢。

そこにこそ、
『快鳥童子シーガルマン』
という作品の核心があります。

この物語は、「正義とは何か」
という定義を押しつけるものでは
ありません。

むしろ、
「それでもなお、正義を信じる
覚悟が自分にあるのか」
をそっと私たちに問いかけてくる
物語なのです。