AA8:C8

アマギシンサク At Age 8

Chapter 8


 翌年の2月某日。シンサクは祖母が入院している病院にいた。
薬品の香りがほのかに漂う院内の廊下に備え付けられた長椅子に母と並んで座り、しばらくの間、家から持ってきた本を手に取って読んでいる。

読んでいる本は、子ども向けに絵本形式で描かれた宮沢賢治作「よだかの星」であった。

 シンサクが開く頁が、よだかのうちのもとに鷹がやってきて無理難題をまくしたてて帰っていった場面を過ぎたあたりの事である。
廊下の先にある病室の出入り口からシンサクの父が出てくる様子が、シンサクの視界の端に映り込んだ。

 瞬間、シンサクは目線を父に向けないようにしつつ、本を閉じて持っていた手提げ鞄に静かにしまい込んだ。

「眞朔、おばあちゃんに会えるぞ。」

父がそう言うと、シンサクは隣に座っていた母に手を取られる形で立ち上がった。

 病室に入ると、消毒液のような香りがより一層シンサクの鼻についた。
個室になっている病室の奥には、白いベッドが備えつけられていた。

 そして、祖母はベッドの上で上体を起こされ、側頭部に大きなガ―ゼが目立つ。
鼻にはチュ―ブを装着されて腕には点滴を打たれている。

 病室の中には、祖母とシンサクと両親、そして看護師が一人。
複数名がいるにもかかわらず、空間は異様な静寂で包まれていた。

「おばあちゃん、眞朔がきたぞ。」

父が祖母のそばに立ち、そう話しかけた。しかし、

「……。」

 祖母は一切の無言であった。

「ほら、おばあちゃんに挨拶は?」

母はシンサクに挨拶を促す。

「…おばあちゃん。」

シンサクは祖母の傍に立ち、静かに声を掛けた。

「………。」

しかし祖母は無言のままである。

しかし、祖母の目だけはほんの少しシンサクの方を向いた。
その目は赤く充血し、焦点が定まっていない。

シンサクの耳には、祖母のよわよわしい呼吸音だけが静かに聞こえてくる。

「マチ子さん、お孫さんですよ。」

看護師が気を使ってか、祖母の名前を呼ぶ。

「…しかたない。元々数年前から物忘れがひどかったんです。半年前に寝起きに転んで頭をぶつけたのが、きっと良くなかったんでしょう。」

父親は、何故かどこか安心した様子でそう言った。

「…何かあったらナ―スコ―ルをお願いしますね。」

看護師は怪訝な表情を浮かべながら病室を後にした。

祖母の目線は再び、病室の壁へと向けられた。
かつては礼儀正しく、厳しくも凛としていた祖母の姿は、既にそこにはなかった。

そして間もなく、シンサクは母に連れられ病室を後にした。
結局、祖母とは一言も話せないままであった。

その夜、シンサクは病室での祖母の姿が忘れられなかった。

 翌朝、シンサクが目を覚ますと、シンサクの傍には母が据わっていた。
母は、起きたばかりのシンサクの顔を覗き込み。口を開いた。

「シンサク、今朝ね、おばあちゃん亡くなったの。」

母は、淡々とそのようにシンサクに報告した。

「…えっ。」

シンサクは母の言葉の意味が一瞬理解できなかった。
そして、しばらくの間の後状況を理解したシンサクの目からは、涙が零れ堕ちた。

「お父さんとお母さん、お葬式の準備しなきゃいけないけど、眞朔はきちんと学校行くんだよ?このあと送っていくから準備して。」

母はそう言うと、シンサクの自室から出て行った。
シンサクはしばらくの間布団から起き上がれなかった。

アマギシンサク
At Age 8

Chapter 8


 翌年の2月某日。シンサクは祖母が入院している病院にいた。薬品の香りがほのかに漂う院内の廊下に備え付けられた長椅子に母と並んで座り、しばらくの間、家から持ってきた本を手に取って読んでいる。

 読んでいる本は、子ども向けに絵本形式で
描かれた宮沢賢治作「よだかの星」であった。

 シンサクが開く頁が、よだかのうちのもとに
鷹がやってきて無理難題をまくしたてて帰っていった場面を過ぎたあたりの事である。

廊下の先にある病室の出入り口からシンサクの
父が出てくる様子が、シンサクの視界の端に映り込んだ。

 瞬間、シンサクは目線を父に向けないようにしつつ、本を閉じて持っていた手提げ鞄に静かにしまい込んだ。

「眞朔、おばあちゃんに会えるぞ。」

父がそう言うと、シンサクは隣に座っていた
母に手を取られる形で立ち上がった。

 病室に入ると、消毒液のような香りがより
一層シンサクの鼻についた。
個室になっている病室の奥には、白いベッドが備えつけられていた。

 そして、祖母はベッドの上で上体を
起こされ、側頭部に大きなガ―ゼが目立つ。
鼻にはチュ―ブを装着されて腕には点滴を
打たれている。

 病室の中には、祖母とシンサクと両親、
そして看護師が一人。
複数名がいるにもかかわらず、空間は異様な
静寂で包まれていた。

「おばあちゃん、眞朔がきたぞ。」

父が祖母のそばに立ち、そう話しかけた。
しかし、

「……。」

 祖母は一切の無言であった。

「ほら、おばあちゃんに挨拶は?」

母はシンサクに挨拶を促す。

「…おばあちゃん。」

シンサクは祖母の傍に立ち、静かに声を掛けた。

「………。」

しかし祖母は無言のままである。

しかし、祖母の目だけはほんの少し
シンサクの方を向いた。
その目は赤く充血し、焦点が定まっていない。

シンサクの耳には、祖母のよわよわしい
呼吸音だけが静かに聞こえてくる。

「マチ子さん、お孫さんですよ。」

看護師が気を使ってか、祖母の名前を呼ぶ。

「…しかたない。元々数年前から物忘れがひどかったんです。半年前に寝起きに転んで頭をぶつけたのが、きっと良くなかったんでしょう。」

父親は、何故かどこか安心した様子でそう
言った。

「…何かあったらナ―スコ―ルをお願いしますね。」

看護師は怪訝な表情を浮かべながら
病室を後にした。

祖母の目線は再び、病室の壁へと向けられた。
かつては礼儀正しく、厳しくも凛としていた
祖母の姿は、既にそこにはなかった。

そして間もなく、シンサクは母に連れられ
病室を後にした。
結局、祖母とは一言も話せないままであった。

その夜、シンサクは病室での祖母の姿が忘れられなかった。

 翌朝、シンサクが目を覚ますと、シンサクの
傍には母が据わっていた。

母は、起きたばかりのシンサクの顔を覗き込み。口を開いた。

「シンサク、今朝ね、おばあちゃん亡くなったの。」

母は、淡々とそのようにシンサクに報告した。

「…えっ。」

シンサクは母の言葉の意味が一瞬理解できなかった。
そして、しばらくの間の後状況を理解した
シンサクの目からは、涙が零れ堕ちた。

「お父さんとお母さん、お葬式の準備しなきゃいけないけど、眞朔はきちんと学校行くんだよ?このあと送っていくから準備して。」

母はそう言うと、
シンサクの自室から出て行った。
シンサクは、しばらくの間布団から
起き上がれなかった。