
–正伝-
The Trial of Seagullman
Chapter 15:落とし前
塚田は、もう何をする気力も湧いてこなかった。
辛うじて昇ってくる思考は、このまま監察班の連中の前に飛び出して捕まろうか。
いっそ殴りかかって撃たれようか。或いは死ぬまでずっとここに蹲っていようか。
と、非常に投げやりなものばかりである。
しばらくすると、先ほどの主任の提案が塚田の思考に割り込んできた。
もし、本当に赦してもらえるのなら、もう構うことなんてない。
これまで通り何も考えずに電子工作に打ち込んで、給料を貰って安定した生活を送る。
企業年金だって加入してるのだから、老後の生活にも心配はいらないだろう。
或いは、もし主任の言ってることが嘘だとしたら?きっと田中のように―
―構うことは無い。どうせ生きていたって仕方ないんだから。
(どちらに転んでも、僕に『損』はないじゃないか。)
塚田がそう考えた時であった。塚田は、それと同時に肚の底から何とも言えない嫌な感覚が湧き上がってくるのを覚えた。
(どうせ生きてても仕方ないのに―)
ここで塚田は、あのミーティング以来、ずっと自分にそう言い聞かせていたことに気づいた。その時であった。
『塚田さん。一つお聞きしたいことが。』
シーガルマンからの暗号無線である。
「…なんだい。」
塚田は静かに応答する。
『尋問室出るときに、何故か分からないけど、死ぬのは嫌だと。そうおっしゃいましたね?』
「…ああ。」
『それは今も変わりませんか?』
「…分からない。」
塚田はため息を吐くようにしてそう答えた。
『質問変えますね。いつから気力がなくなりました?』
「いつからって…。」
『事前に伺っていた話だと、相当パーシアスでの業務に打ち込まれていたとか。』
この時、塚田の中では言い表すことのできない複雑な感情が渦巻いた。
「……そう、昔はね。」
塚田はその感情を辛うじて抑止して、そう答えた。
『やりがいがあったのでは?』
「……もう分からなくなった。」
そして、シーガルマンは沈黙した。しかし、今の塚田はシーガルマンの沈黙すら特に気にはならなかった。それよりも、あれだけ好きだったはずの仕事に何故打ち込めなくなったのか、今更、そこが塚田の気にかかった。
「シーガルマン。」
『はい、なんでしょう?』
「一つ聞いていいかい?」
『ええ。どうぞ。』
「…もし自分の生きがいとか、生きるための希望とか、そういったものが大勢の人間を不幸にしていると分かったら…君だったらどうする…?」
シーガルマンは少しの間再び沈黙した。
そして、口を開いて言った。
『…そこに行きつきましたか。』
「…ああ。行きついちゃったみたいだ。」
塚田は苦笑交じりにそう言った。
『…見ず知らずの他者の不幸などお構いなしに、シンプルに自分の幸福を追及する…。それだけの図太さをもって生まれてこれたら、どれだけ楽だったろうかと切に思います。』
シーガルマンは自嘲気味にそう答えた。
「おい、論点を逸らしたね?」
塚田は冗談交じりにそう追求した。
『バレましたか。…答えてほしいですか?』
シーガルマンは若干いたずらっぽくそう答えた。
「…答えてほしい。」
塚田は静かにそう呟いた。
『全て放棄しようと思ってました。』
「全てを放棄…。」
『自分という人間はどこまでも世間と相いれないと。自分が良かれと思うことは大抵世間にとっては迷惑で。その逆もまた然りです。まあ、世間様から見ても自分のような人間は扱いづらいことこの上ないのでしょうけど。』
シーガルマンは続ける。
『そも相いれない2つが関わり合いになどなるから、結果互いが不幸になるわけで、それならば最初から関わらなければトラブルにすらなりません。』
「……。」
塚田は黙ってシーガルマンの話を聞く。
『幸いにも天涯孤独の身の上ですから、別に自分一人が社会から消えたところでさして問題はないでしょう。適当な山でも買って、小さな小屋を建てて、そこで死ぬまでそこで暮らすのも悪くない。そう思って一度は全て捨てました。』
「それで、どうなった?」
『駄目でした。』
シーガルマンは冗談めかしてそう答えた。
『最初の一ヶ月は本当に楽でした。何も考えず、毎日少しずつ食料を蓄えては、少しずつ食料を消費し、後は寿命が尽きるまで待つ。何の負担もありませんでした。でも所詮は一ヶ月が限度で。』
「…それで?」
『それが一体何なのかは分かりません。ですが、何かやり残したことがある気がしてくるんです。それは最早衝動の域でしたけど。』
「……!」
『勿論、徹底して自分を抑え込みましたよ?今の生活こそが自分にとっても社会にとっても、考えうる限りではベストだって。』
「…それで、その後は?」
『結局、1人で結論を出すこともなく周りから世間に引っ張り出されました。』
シーガルマンは苦笑交じりにそう答えた。
「…答えは出た?」
『全くもって。今も探してる最中です。ただ、一番近いかなと思う言葉は一つだけ。』
「それは?」
塚田は無線であることを忘れて、前のめりに聞いた。
『落とし前です。』
「落とし前…。」
『…すみません、抽象的でとりとめもない話になりましたけど、…参考になりました?』
シーガルマンは少し心配そうに塚田に聞いた。
「ありがとう。なんだかしっくりきた。」
塚田は少しほっとしたように答えた。
『それは何より。』
「シーガルマン。」
『はい、何です?』
「まだ生きていたい。」
『…はい。』
「多分、僕も『落とし前』を付けられてないんだと思う。」
『…はい。』
「僕もそれが何かは分からない。ただ、それを抱えたまま死にたくはない。」
『…さて、どうします?』
「ここから生きて脱出する。シーガルマン、力を貸してくれ。」
『……喜んで!』