
–正伝-
The Trial of Seagullman
Chapter 7:その名はシーガルマン
AM4:00 青森県八戸市の港湾地帯某所
パーシアスエンタープライズ所有化学工場敷地内
旧化学実験棟1階
内丸派の男の手引きで尋問室を脱出した塚田は、部屋があった建物の3階から1階まで降り、そこで進行が止まった。
武装した覆面の男が3名出口に繋がる通路の警備にあたっており、そのエリアへの進入はリスクであった。内丸派の男曰く、
「押し通るのは得策ではない。ひとまず警備が緩むのを少しだけ待ってみよう」ということで、2人は2分ほど階段下にある、通路を覗き見ることが可能な位置の物陰に隠れ息を潜めている。
内丸派の男は定期的に腕時計と廊下の様子を交互に伺っている。『息を潜めている』とはいうものの、元々長時間の尋問を受けていた塚田の体力の消耗は著しく、静まり返った空気の中でその呼吸がだんだん荒くなってきているのは、内丸派の男、そして塚田本人にとっても明らかであった。
そして、この状況に突入してから3分後、内丸派の男は塚田の様子を一瞥すると、ゆっくりと立ち上がった。
「…動くのかい?」
塚田が内丸派の男にそう聞くと、男は答える。
「ええ、ご様子を伺う限り、長時間ここにいては塚田さんの身体が持たないと判断しました。…残念ですが、これ以上気づかれないように脱出するのは難しそうです。」
「それじゃあまさか…。」
「押し通ります。」
「でも君1人で―」
塚田は思わず立ち上がりそうになった。
しかし、内丸派の男は塚田をなだめるように続けた。
「勿論無策ではありません。少し説明には困る内容なのですが…。ここはどうかご安心を。」
塚田にはこの男が、たった一人であの武装した覆面の男たちの警備を突破する方法について、その見当が全くつかなかった。
しかし、内丸派の男の静かな自信に裏打ちされたような一言。そこに謎の説得力を感じた塚田は静かに頷いた。
「…分かった。それで、僕はどうすればいい?」
塚田がそう尋ねると、内丸派の男は言った。
「塚田さんは、しばらくここに隠れててください。」
「…ああ。」
塚田はそう答えると、静かに身をかがめるような体勢に戻った。
内丸派の男は、塚田の態勢が整うのを見届けると、背筋を伸ばして元のナンバー4から奪ったままの自動小銃を構え、背筋を伸ばして廊下の方に進んでいった。
内丸派の男の足音が廊下に響く。そして、足音が止まると、男たちとの話声が聞こえて来た。塚田は気になって、物陰から少しだけ顔をだし、廊下の方を恐る恐る覗いた。
廊下を見ると、内丸派の男は覆面の男たちと会話しているようだ。
(多分ナンバー4が入れ替わっていることには奴ら気づいていないのかもしれない。もしかしたら、何かと理由を付けて僕を連れ出す方向だろうか。)
塚田がそのように内丸派の男の作戦について予想を巡らしながら廊下を覗き見ていると、内丸派の男は突如自動小銃を床に置いた。
塚田が見る限りでは、覆面の男3名はその様子に不信感を覚えたようである。
3人の男は、内丸派の男を咎めるような雰囲気で、何か小声で話しかけながら
内丸派の男にじりじりと接近する。
一方、内丸派の男はリラックスしたような姿勢を取ると、よく通る声で言葉を発した。
『オンソラソバテイエイソワカ、オンソラソバテイエイソワカ、オンソラソバテイエイソワカ。』
恐らく、仏教徒が唱える真言のようなものであろうか。塚田には一瞬、内丸派の男の行動が理解できなかった。
そして、それは覆面の男たちにも同じであったらしく、彼等もまた困惑している様子である。
しかし、そんな男たちの困惑をよそに事態は急変する。
真言を唱えた直後、内丸派の男の身体が青白い光に包まれた。
暗い室内で急に光を見た塚田の目は一瞬眩んだ。
そして、数発の打撃音と、電流がショートするような音、そして固形物が破砕されるような音だけが塚田の耳に入ってきた。その音も十数秒で止み、通路は静寂に包まれる。
ようやく目が明るさに慣れた塚田は、内丸派の男の安否が気になった。
あれだけの打撃音である。もしかしたら無事では済まないかもしれない。
そう思いながら塚田が通路をのぞき込むと、そこに内丸派の男の姿は無かった。
そこには、通路には倒れている3人の覆面の男と、白いマントを羽織って白いヘルメットを着け、棒状の物を持ったような、長身の何者かの姿があった。
状況が呑み込めない塚田は、しばらくその光景を呆然と眺める。
そのうち、白い長身のシルエットは塚田の方を振り向き、静かに歩いてきた。
塚田は無意識に畏れを感じ、腰が引けたようになった。
そして、白いシルエットのその存在は塚田の顔を覗き込んだ。白いヘルメットの正面には、黄色いフェイスガードと赤いアイラインが設えてあり、さながら海鳥のような印象を受ける。
その鋭い目つきににらまれ、塚田が圧倒されていると、海鳥のようなマスクの向こうから、この数十分で聞きなれた声が発せられた。
「お待たせしました。塚田さん。」
「…ああ、君か。」
どうやらこの白い姿の何者かは、あの内丸派の男であったらしい。そうなると、この白い姿は何らかの装備をまとった姿なのだと塚田は考えた。そして、自身の知る限りの情報の中からその正体を推測した。
「強化装甲とは珍しいな。しかも見たことのない型だ。」
「ご名答です。よくご存じですね。」
「以前別の部署にいた時に強化装甲関係のデータを覗いたことがあってね。しかし、今の時代に稼働品が見られるとは思わなかった。」
塚田は初めて生で見る技術に、状況を忘れ心なしかはしゃいでいるようである。
「興味がおありなのはよく分かりますが、技術談義はまた後程。」
「おっと…。済まないね。」
「さて、そろそろ見張りの交代の時間になりますし、もぬけの殻の尋問室を見られれば騒ぎになることでしょう。」
「それで、その強化装甲で見張りを全員片付けて脱出するっていうのかい?」
「左様です。事前に見張りの総員を確認しましたが、敵は全部で十六名、現状五名無力化してますから残り十一名をかいくぐるか無力化すれば問題ありません。」
「脱出ルートは?」
「現在地点からほんの百メートル程度のところに地下水路へのハッチがあります。岸壁エリアに繋がっているルートになりますから、そこから市街地に逃走しましょう。」
「少しでも早く外に出たいというわけだね。」
「ええ。塚田さんの体力的もそうですが、あと三十分もしないうちに夜が明けます。そうなると目立たないように逃げるのが一苦労になりますから。ここからはなるべく短期決戦でいきたいと。」
「だから、僕に頑張れと。」
「…すみません。本来もう少し人手が欲しかったところですが。」
白い強化装甲をまとった内丸派の男は、少しだけ申し訳なさそうに言った。
塚田にはその様子が少しだけ意外に感じた。
「…名前を聞いてなかったね。何て呼べばいい?」
「名前…ですか。」
白い強化装甲の内丸派の男は、少しだけ困った様子だった。
塚田はその様子がどこか可笑しく感じた。
「早く。時間がないんだろう?」
塚田はお構いなしに白い強化装甲の男をせかす。
「…特に名前とか無いんですが。」
強化装甲の男は、ヘルメット越しに頭を掻いている。
「本名は?」
「本名はちょっと…。」
強化装甲の男は、さらに困った様子である。
「じゃあなんでもいいから、テキトーに!」
「…そうですね。……それじゃあ、『シーガルマン』と。」
「シーガルマン?」
「…まあ、ウミネコとかカモメとかそういうニュアンスで。」
「そうか…。八戸らしくていい名前だね。」
「…ふざけた名前じゃないですか?」
「そんなことない。」
「…ありがとうございます。」
白い強化装甲の男改め、シーガルマンはどこか感慨深げに答えた。
「それじゃあ、よろしく頼む。シーガルマン。」
「こちらこそ。塚田さん。」
そして、塚田とシーガルマンは、気絶している覆面の男たちを乗り越えて、旧化学実験棟を出た。